今日から12月

今の土地に引っ越してきて1年が経った

母の近くにと考えて関西に戻ってきたが
私は母のために何ができたのか全く思い出せない
(そうきっと何もできていない)

1月に転倒してからあとの母は
急性期病院とリハビリ病院を2往復

脳卒中、肺炎と病名がついたが
結局のところ母は今年の春に居なくなった

77歳だった

今までも入退院を繰り返してきた母
きっと今回も元氣になって戻ってくるはず

母は強運の持ち主なのだから
そう信じて疑わなかった

実際のところ私が思っているよりずっと
母の身体機能は弱っていた

トランプを組み立てたパズルのように
細い風が吹けば一貫の終わり

もっとたくさん一緒にいれば良かった
と思ってももう遅い

去年の今
あえて実家に戻らなかったことを
今は悔やんでいる

同居していれば
母の転倒を防ぐことができたのではないか

たらればの妄想がぐるぐる回る

ドクターは脳が血液で押し潰されているから
今の母には痛い苦しいの感覚はないと仰られていた

目は開いているが見えていないとも

本当だろうか

母は最後とても苦しかったと思う

延命措置の数々の管が身体に突き刺さり
「もう解放してほしい」
と懇願しているように見えた

延命を希望したのは父である

母を少しでも長く生かせてあげたい思い なのか
自分1人になる恐怖 なのか

母は父がその選択をすることを予測していたように思う

「父ちゃん しゃーないなぁ・・・」

苦笑している母が目にうかぶ

母を花に例えると芍薬かな

20251201私の母は「不屈の人」